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ピーター・ライト版「コッペリア」の魅力は緊密な演劇性

菅野拓也
英国バーミンガム・ロイヤル・バレエ団が6年振りに来日して、東京と大阪で「コッペリア」を上演したのは、昨年のちょうど今ごろであった。
1979年に初演して以来、好評だったピーター・ライト版を、ライト自身がピーター・ファーマーのメルヘンチックな美術を得て一新したばかりとかで、演劇的な奥行きの深さと、息つく暇も与えぬテンポの早さとめまぐるしさで畳み込んでいく演出の冴えにひたりながら、久しぶりにバレエの楽しさを堪能したものだった。
それが今回、まさにその新装なったピーター・ライト版そのままをスターダンサーズ・バレエ団が上演するというのだから、こんな楽しみなことはない。ぜひもう一度あのバーミンガム・ロイヤル・バレエ団が見せた魅力溢れる舞台を再現して欲しいものだと思う。
ピーター・ライトの演出では、踊り中心に流れるということもなければ、踊りのための踊りになったり、物語を説明しようとするあまりにマイムに偏ることもない。とかくそれぞれの見せ場に分離しがちなのに、ここではそれが完全に融合していて、その継ぎ目さえわからない。踊りから見ると完全なバレエなのに、演劇的に見るとこれまた完壁な演劇にしか見えない。
つまりはそれだけ理想的な舞台作品に仕上げられている、ということになるのだろう。マイムは細部にいたるまで、リアルにきっちりと表現しなければ気がすまない。バレエといえども演劇的に緻密でなければならない、という舞台づくりこそがピーター・ライトの世界であり、あるいはイギリス人気質の現れともいえるのかもしれない。
というのも、そのことはたとえば今年五月にロンドンで見たミュージカル「サンセット・ブールバード」などでも実感したからである。もっと気軽に明るく音楽的な遊びがあってもよさそうなのに、けっして音楽的に流れて演劇的に味の薄まることはしない。アメリカものなどに比べるとちょっと息がつまるほどで、そのために暗く陰気になったとしてもこちらを優先させるのだ。
そしてわずかな継ぎ目、隙間も開かぬようにスピーディに畳み込んでいく。全体と細部への気配りを常に並行させながら、それは完壁なまでにおこなわれる。さらに、薄暗く陰気ななかにも、ちょっとした皮肉や酒落とユーモアを交えることを忘れないのである。
派手で大味な大見得を切る代わりに、織密なリズムで積み重ねていく。そこに、その時の「時代のエッセンス」と気品を漂わせるのがイギリス人の特質なのかもしれない。このピーター・ライト版には、こうしたイギリスの伝統の匂いがいっぱいなのだ。
「コッペリア」というバレエ作品は単純な筋立てのわりに、見ていてわかりにくいところが随所にある。それは「怪奇的な味付けをしたコミカルなバレエ」に終ってしまうことが多く、人形をつくるコッペリウス博士の人物像も、ただ少女スワニルダにご執心の気味悪い老人としての印象しかないためではないだろうか。しかし、コッペリウスこそ科学が台頭してきた十九世紀という時代背景を象徴する人物として、大きな意味をもっているといえるだろう。
普通はコッペリアになるダンサーの人形ぶりや、老人の部屋に入り込む青年フランツ、フランツとは恋人同士のスワニルダらが巻き起こすコミカルな騒動ばかりに目がいってしまいがちだ。しかしピーター・ライトはこの人物をきっちりと細部にいたるまでリアルに演じること

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英国でのバーミンガム・ロイヤル・バレエ団公演より

 

 

 

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